商標出願・商標登録・商標申請・ブランディング・鎌倉ブランド創造支援
神奈川県 鎌倉市の特許事務所

商標出願、商標登録ならあなたのブランドパートナー 渡部 仁

プロフィール

所長渡部からのメッセージ

新卒で特許事務所に入社し、特許、商標、著作権等の知的財産業務に長年携わってきました。

弁理士の仕事は、日本の最先端の技術とも言える発明に間近に触れることができる素晴らしい仕事です。
また、商標でブランドを守り、ブランドを育てていく過程において、お客様の事業に深く関わることができる仕事でもあります。
このような仕事に携われることを心から幸せに感じています。

資源の少ない我が国ですが、日本は、知的財産という大きな資産を生み出す力を持つ知財大国です。
我が国が国際競争力を維持するには、世界に先駆けて質の高い知的財産を創造することが重要です。
小泉元首相が打ち出した知財推進政策を端緒に、今や我が国の知財業界が活況を呈しています。
この追風に帆を上げ、我が国の発展のため、知財業界の益々の活性化と、日本の知的財産の創出、そして世界への発信に向けて全力を尽くしていきます。

一つ一つの知的財産をまさに自分の子供であるかのような思いで育み、お客様の事業を守る盤石で強い権利の獲得に尽力しています。
知的財産権は、事業を守るだけに止まりません。活用の仕方によって、利益を上げる武器にもなり得ます。
すべてのお客様が知的財産を活用して利益を上げ、事業を大きく発展させるという目標に導くことこそが私の使命です。

人との信頼、関わり合いを大切にし、情熱をもって誠実な仕事を心がけて参ります。
どうぞよろしくお願いします。

資格など

資格

  • 弁理士 特定侵害訴訟代理人
  • 第一種電気通信主任技術者
  • 情報処理技術者

所属

  • 日本弁理士会
  • 日本弁理士会関東支部
  • 鎌倉ロータリークラブ
  • 鎌倉商工会議所
  • 鎌倉市観光協会
  • 神奈川県発明協会

公的な役職 2017年5月現在

  • 日本弁理士会関東支部神奈川委員会副委員長
  • 鎌倉商工会議所専門相談員
  • 横須賀市産業振興財団商工相談員
  • 知財総合支援窓口知財専門家
  • 神奈川県特許等取得活用支援事業知財専門家
  • 島根県特許等取得活用支援事業知財専門家
  • 川崎市中小企業サポートセンター知財専門家
  • 神奈川産業振興センター知財専門家
  • 神奈川県商工会連合会知財専門家
  • 日本知的財産仲裁センター事業適合性判定人候補者
  • 日本知的財産仲裁センター調停人・仲裁人補助者候補者
  • 知財コンダクター支援事業登録弁理士
  • 埼玉県先端ものづくり技術指導員
  • 小規模企業支援強化事業コーディネーター

略歴

1996年 3月
日本大学理工学部電子工学科を卒業
1996年 4月
大手国際特許事務所に入社
2001年10月
第一種電気通信主任技術者資格を取得
2007年11月
弁理士試験合格
2007年12月
弁理士登録
2008年12月
大手国際特許事務所を退職
2009年 1月
将星国際特許事務所を設立
2013年12月
特定侵害訴訟代理業務試験合格
2014年 1月
特定侵害訴訟代理業務付記登録

活動・実績

2016年 2月
テクニカルショウヨコハマ2016知的財産セミナー実行委員に就任
2016年 4月
日本弁理士会関東支部神奈川委員会副委員長(第6期)に就任
2016年 4月
日本弁理士会特許相談室相談員(第6期)に就任
2016年 4月
鎌倉商工会議所専門相談員(第7期)に就任
2016年 4月
横須賀市産業振興財団商工相談員(第6期)に就任
2016年 4月
知財総合支援窓口知財専門家に就任
2016年 4月
神奈川県特許等取得活用支援事業知財専門家(第7期)に就任
2016年 4月
日本知的財産仲裁センター事業適合性判定人候補者(第2期)に就任
2016年 6月
神奈川産業振興センター知財専門家に就任
2016年 7月
横浜市中小企業外国出願支援事業審査委員(第7期)に就任
2016年 8月
横浜市中小企業外国出願支援事業審査委員(第8期)に就任
2016年 9月
小規模企業支援強化事業コーディネーターに就任
2016年11月
埼玉県先端ものづくり技術指導員に就任
2017年 2月
テクニカルショウヨコハマ2017知的財産セミナー実行委員に就任
2017年 4月
日本弁理士会関東支部神奈川委員会副委員長(第7期)に就任
2017年 4月
鎌倉商工会議所専門相談員(第8期)に就任
2017年 4月
横須賀市産業振興財団商工相談員(第7期)に就任
2017年 4月
知財総合支援窓口知財専門家(第2期)に就任
2017年 4月
神奈川県特許等取得活用支援事業知財専門家(第8期)に就任
2017年 5月
小規模企業支援強化事業コーディネーター(第2期)に就任
2017年 6月
IoT知的財産活用促進支援事業専門家に就任

講演・セミナー

2009年 6月
日本知財学会第7回学術研究発表会にて
論文「出版権設定契約およびその留意点の解説」を発表
2014年 5月
蛭田昭史税理士事務所にて
講演「税理士業からみた商標登録のメリット」を開催
2014年 6月
かわさき知的財産スクールにて
講演「意匠登録によるブランド戦略」を開催
2015年 6月
かわさき知的財産スクールにて
講演「商標活用によるブランド戦略」を開催
2015年11月
関東経済産業局・特許庁・横浜市主催の知的財産セミナーにて
講演「商標活用によるブランド戦略~地域でブランドを育てる企業の取り組み~」を開催
2016年 7月
かわさき知的財産スクールにて
講演「商標活用によるブランド戦略と、地域でブランドを育てる企業の取り組み事例」を開催
2016年10月
神奈川県ものづくり技術交流会にて
講演「IoTの特許戦略」を開催
2016年11月
関東経済産業局・特許庁・神奈川県主催の知的財産セミナーにて
講演「商標を活用したブランドづくりの基本」を開催
2016年12月
栃木県大田原市主催の知的財産セミナーにて
講演「IT利活用における知財リスク及びその対策と、特許情報活用による安く効果の高いIT導入方法」を開催
2017年12月
関東経済産業局・特許庁・横浜市主催の知的財産セミナーにて
講演「商標を活用したブランドづくりの基本」を開催

表彰・受賞

2016年 2月
日本弁理士会関東支部歴代役員功労賞

研究開発

2013年 4月
商標レコメンドシステム(開発コード名)
2015年 4月
事業内容入力レコメンドシステム(開発コード名)
2015年 8月
権利者名入力レコメンドシステム(開発コード名)
2015年 8月
競合他社対比レコメンドシステム(開発コード名)
2016年 1月
7コード選択レコメンドシステム(開発コード名)
2016年11月
競合他社検索レコメンドシステム(開発コード名)
2017年 9月
商標登録ランク評価システム(開発コード名)

著書・論文

特殊技能

・BASIC、FORTRAN、COBOL、Pascal、Z80アセンブリ言語、8086アセンブリ言語、C、C++、Visual Basic、Visual C++、WZエディタマクロ、Excelマクロ・VBA、Wordマクロ・VBA、PHP、JavaScript、SQL
・HTML、CSS、XML、XSLT
・MS-DOS、WindowsServer、Apache、MySQL

事務所の名称とロゴマークに込めた思い

所長渡部の家紋は、三つ星に一文字、通称「渡辺星」と呼ばれています。
この三つ星は、オリオン座の中央部に直列する三つの恒星を指し、
これらを将軍星といいます。
一文字には、敵に打ち勝つという思想が含まれています。
したがって、この家紋は、まさに侍の心を表象しています。

そして、士業(さむらいぎょう)は、
信義をもとに人の代理人となって権益を守る侍であり、
弁理士もまたそうであると考えています。

当事務所は、お客様のために侍の心を貫き信義をまっとうするため、
所長渡部の家紋「将軍星」に由来して「将星」と名付けました。

当事務所のロゴマークは、将星を表すオリオン座の三つ星をモチーフにしています。
上向きの青の三つ星と、下向きの緑の三つ星を組み合わせ、大地を踏みしめ、天に向かって伸びていくイメージを示しています。

その心は、初心・基本を大切にし、お客様の未来を拓くというものです。

私が情熱家弁理士になったわけ

1972年、神奈川県横浜市で生まれました。父親は公立中学校教員。妹が2人。母や親せきによると、その頃の私は典型的な昭和の悪ガキだったそうです。

トイレに大量の石を流して詰まらせたり、線路で10円玉をつぶしてみたり、机の上に乗ったまま2階から飛び降りたりしていました。もちろん、しこたま怒られました。お尻もたたかれました。ただ今の私が当時の私を弁護してあげるなら、「水洗トイレはどれほどの物まで流せるのか」「コインをつぶすとどうなるのか」「2階から落下する机から飛べば自由落下を相殺できるのではないか」、純粋に確かめてみなければ気がすまなかったのだと思います。

熱中できる何かを見つけたらとことん打ち込む情熱。それはきっと、この頃すでに始まっていたようです。

中学、高校、熱血 少年期

中学ではテニス部に所属しました。テニス経験者の指導教員がいない中、2年次にキャプテンに選ばれました。リーダーという重圧を胸に、部員のトレーニングプランはすべて私が考え、指導に取り入れました。プレッシャーがあった分、鍛えられたと思います。
当時の愛読書は「キャプテン」(ちばあきお作)、「あしたのジョー」(ちばてつや作)など。よく言えば、情熱的。言い方を変えれば、暑苦しい。少々迷惑なキャプテンだったかもしれません。
ところで、父も、勤務していた中学でテニス部の顧問をしており、「巨人の星」さながら、私の目標も「打倒 親父率いるテニス部」。父のチームと幾度も戦い、ことごとく惨敗。現実はマンガのようにいかないものですね。

高校は、体育に力を入れている神奈川県立荏田高校へ。ここでもテニス、明けても暮れてもテニス。当時勉強の仕方さえ身についていなかった私ですから、担任の先生には「今のままでは留年だ!」と言われる始末。
そんな私が、この後の大学入試で志望校に何とか滑り込むことができた理由は、ただ一つ。
それは、がむしゃらさ。

裏方業を磨いた、大学熱中時代

大学は日本大学理工学部です。専攻は、情熱工学、いや、情報工学です。恥ずかしながら学業というより、サークル活動に燃えた大学時代でした。コミックマーケットという全国規模の同人誌即売会において、自分たちが作った同人誌を販売する、というサークル活動です。
コミックマーケットというとアニメやマンガのパロディをイメージする方も多いと思いますが、私たちが作っていたのは、全年齢対象の企画誌でした。当然最初はちょびちょびしか売れません。でも、へこたれるものかと。わずか2年間で販売部数2,000部を超えるメジャーサークルに成長させることができました。僭越ながら、企画系の同人誌としてこれは奇跡的なことなのです。

小さな活動ではありましたが、このサークル活動こそが今につながる私を育ててくれたと思うのです。
第一点は、裏方仕事のやりがい、と言えばよいでしょうか。友人たちは私をリーダーとして立ててくれましたが、実際は文章も絵も得意ではない私。私は自分にできることを見極め、実務的な裏方作業に徹すると決めました。確かに派手な日なたではありません。
でも、一つのプロジェクトを推進していく上で、なくてはならない領域。そう信じ、この一点に情熱のすべてを注ぎました。泥臭い仕事です。制作環境の設定、スケジュール管理、雑誌を買ってくれた方との手紙のやりとり、掃除洗濯、メンバーの尻ぬぐいなどなど…。でも、とにかく一つ一つに手応えがあり楽しかったのは事実です。そして雑誌が完成し、その本が一冊一冊と売れた時の喜びは、今でも心震えるほどの宝物なのです。

もう一点、学んだことは、人との恊働の大切さです。私は本来、唯我独尊的なところがあり、スタンドプレイを好む傾向がありました。ところが、このサークル活動を通して、人と協力して目標を達成する喜びを知ったと思うのです。

諦めず食らいついて、就職

あっと言う間に大学4年生です。就職活動は目前。明解なビジョンがあったわけではないのですが、サークル活動を通して抱き始めた漠然たるイメージがありました。
それは、人と協力して物事を作りあげる仕事。裏方でいい。ただ、最初から最後まで自分が責任をもって関われる仕事。
そんなイメージを持ちつつも、まずは教授に勧められるままに大手自動車メーカーを受けたり、思いつきで国家公務員一種試験を受験したりしました。結果、大手自動車メーカーには内定をいただくことができましたが、生意気にもせっかくの内定をお断りしてしまいました。

そんな中、一つの転機が訪れます。知り合いの方から知財業界の話を聞き、直感的に強く惹かれる何かを感じたのです。これだ、と。
さて、いざ方向性が決まれば、猪突猛進。大学の就職課で、とにかく特許事務所を探します。5年前(!)の求人が一件だけでてきました。気づくと、5年前の求人であることなどお構いなしに電話をかけていました。
結果、その事務所の所長が日大OBの方だったことが幸いし、面会いただけることに。ところが、5年前の求人であるため、当然採用の希望は断られます。しかし、そこで挫けず、その後6回事務所に押しかけてみました。失礼だったと思います。ご迷惑だったと思います。でも、諦めなくてよかった。7回目にしてトライアルのチャンスをいただけたのですから。

そして、何とか採用していただくことができました。本当にご縁に助けられ、諦めない気持ちに運が味方し、社会人第一歩を踏み出しました。

さあ、知財業界への一歩へ

特許技術者の主要な業務は、特許出願の明細書を書くことです。これがいざ書いてみると非常に難しい。まともに文章を書いた経験と言えば、大学の卒論の前は、小学校の読書感想文まで一気にさかのぼってしまいます。常に私は、文章の苦手意識と奮闘していました。

ところが、ある時、ハッと気づきました。明細書の構成は、コンピュータのプログラムに似ていると。これなら私の最も得意とする分野です。プログラムには「美しい文章」などは求められておらず「正確かつ確実に目的を達成する論理」が求められています。特許出願の明細書においても、同じことだ。そう気づいたことは、私にとり長いトンネルの中で光が見えた瞬間でした。

3年ほどの経験を経て、徐々に、ほんの少しずつ、自分でも納得のいく仕事ができるようになりました。クライアントが真に求めている技術をすくい上げ、適切に文章化できたときは本当に気持ちのよいものですし、晴れて特許が得られたときは、一段の喜びがあります。さらにその仕事をクライアントに喜んでいただき、継続して担当を指名していただけたときは、もう感無量です。本当にこの職業を選んでよかったといつも思います。

弁理士試験への挑戦と、挫折

就職から5年目に弁理士試験の勉強を始めました。クライアントとの仕事を、責任を持って行うためには、資格者でなければならなかったからです。

勉強に集中するためにと、事務所の所長が一室を提供してくださり、仕事以外の時間はすべて受験勉強に注力しました。その甲斐あって、3カ月で一次試験に合格。しかし、順調に行ったのは、そこまで。その後、論文試験を3回受験し、そのたびに不合格。論文練習会での成績も全然伸びません。体重も(髪の毛も)激減するくらい勉強をしているのに、なぜ成績が伸びないのか、当時の私にはまったく分かりませんでした。

一つの事に集中することには自信がありましたが、その集中力は裏を返すと視野の狭さと言うこともできます。思い返せば、当時は、そんな状況。とにかく写経のように、条文を丸暗記するような勉強をしていたのですから、論文試験に対応できなかったのも当然だったかもしれません。

受かりたい。何よりも所長をはじめとする周囲の期待にも絶対応えなければ。そう思う一方で、一向に合格が見えず、また無理な生活を何年も続けたせいで、精神的にも肉体的にもガタガタになってしまいました。家庭的な事情もあり、4年目にして受験を断念せざるを得なくなりました。

挫折がくれた転機とは

やると決めた事はやりきってきた。そんな自負があったため、弁理士試験の断念は大きな挫折感として心に残りました。

しかし見方を変えると、その挫折感は違った視点を私に与えたとも言えます。それまで唯我独尊的なところがあった自分に、一つの楔を打ち込んでくれた気がします。自分のやり方を改めて省み、人の話をより聞く姿勢を身につけるきっかけをくれたように思うのです。仮に一次試験に受かった勢いでスムーズに最終合格までしていたら、さぞ高慢な人間になってしまったのではないでしょうか。つまづいて、結果よかったのです。

試験断念から数年を経て、友人の紹介で知り合った女性と結婚しました。彼女と私はかなり価値観や考え方が異なりました。そのせいでの衝突も少なくありませんでした。けれども同時にその体験は、私の考え方を広げ、視野を大きくしてくれる契機にもなりました。弁理士試験の挫折経験と彼女との出会い。二つは私の人生にとって、とても大きな転機をもたらしてくれたのです。

もう一度、弁理士試験へ そして合格!

やがて結婚生活も安定し、かつてやり残したことが、自分の中で徐々に大きくなってきました。弁理士試験への再挑戦です。たたきのめされたあの挫折感を何とか、、、正直、試験に再び挑む事に恐怖もありましたが、あの時とは違う気持ちで勉強に取り組める気がしました。以前なら自分のやり方に固執していた。周りの受験生が敵にしか見えなかった。でも今度は、徹底的に他人の話に耳を傾けよう。できるかぎりの広い視野をもって勉強に取り組もうと。

すると、不思議なものです。学び直す一つ一つの知識が数年間の経験と結びつきはじめ、一つの流れを持って再構築され、飛躍的に成績が伸びたのです。そして勉強を再開してから1年で、最終合格までこぎつけることができたのです。

鎌倉で独立、鎌倉への熱い思い

弁理士試験に合格し、ようやく自分の夢を叶えるスタートラインに立ちました。13年務めてきた事務所では、多くの大企業をクライアントとし、様々な知識や経験を授かりました。多くを学びながら、なるべき自分にむけて己を改革し続けてきたようにも思います。さあ、こんどは自分が恩返ししたい。これまで私が習得した知識や経験を、本当に必要としている事業者の方のために役立てる仕事がしたい。やりたいことは、この一点に尽きました。

独立にあたり、私が強くこだわったのは、鎌倉という地でした。特許事務所を必要とする多くのクライアントが都内に集中していることは事実です。でも私の決意は、どうしても鎌倉。ここ鎌倉が大好きで大好きで、生涯かけてこの地に貢献していきたい。800年以上前、幕府が開かれて以来、今なお世界中から多くの観光客が訪れ、様々な文化やインスピレーションを発信しているように、鎌倉からの新しい知財の発信に貢献していきたい。もっともっと鎌倉を輝かせたい。それが私の抱く熱い思いだからです。
そして同時に、弁理士としての自分の職業哲学や情熱は、鎌倉という土地でなければお伝えできないと考えました。
三方を山に囲まれる鎌倉は、容易に攻めこめない天然の要塞として武家政権が誕生した地。私は弁理士も士業(さむらい業)だと考えています。信義をもとに、お客様の代理人となり、その権益を守る士(さむらい)。鎌倉に根ざした現代の侍として、志の高い事業者の方を知財の面から情熱をもって支えていきたいのです。

こんなに長いプロフィールを読んでいただき、ありがとうございました。
渡部仁という人間に興味をもっていただけたなら、この上なく光栄に思います。そして、信頼関係を築いていきながら仕事を任せていただけるならば、私は全身全霊をもって仕事に取り組みたいと思っています。「情熱家弁理士」という言葉は、あなたへの約束であるとともに、自分に課す絶対使命でもあります。

鎌倉に事務所を立ち上げ、幸運な出会いにも恵まれ、多くの貴重な経験をさせていただきました。鎌倉で開業して本当によかったと思っています。そしてこれからも、新しいやりがいと、すばらしい人との出会いを楽しみにしています。鎌倉に深く根ざしながらも、これに止まらず、鎌倉のブランド化で得た知識や経験をもとに全国の事業者をお手伝いしていきます。

情熱家弁理士® 渡部仁より

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